【日本名城100選 No.16 島原城】
実力と見栄を張るとこんな結果になる!
お陰で城好きには有難いし…
後世に名は残したが
残念な松倉重政…
1616年
九州の外様大名の牽制と
キリシタン対策という
大きな任務を与えられて
島原に入った松倉重政が、
1618年築城を開始し
7年をかけ完成した。
総石垣で
五重天守と3基の三重櫓、
38基の平櫓などが配置された
4万石の大名としては
分不相応の壮大な規模の
島原城と城下町を完成させた。
しかし築城のための重税と賦役、
キリシタンへの弾圧、
過酷な年貢の徴収などが
要因となり、
1637年農民たちが
天草・島原の一揆勃発!
島原城では、
一揆鎮圧の兵を出し
深江村で戦ったが
勢いに押され退却し
籠城戦法に切り替えた。
一揆勢は城下を焼き
原城に立て籠もるが
幕府により鎮圧される。
この責任をとらされて
松倉氏は断絶…
その後、譜代大名が
入れ替わり明治を迎えた。