【日本名城100選 No.18 吉野ヶ里】
城のルーツとなった
弥生時代の集落!…
邪馬台国かと期待されたが…
弥生時代前期、
標高1,000m前後の
吉野ヶ里丘陵一帯には
小規模なムラが分散していたが、
次第に統合拡大され、
弥生時代後期には
集落が北部へと広がり、
約40haを超える
国内最大級の
環濠集落へと発展した。
V字形に掘削された
総延長約2.5kmの
外環濠の内外に
土塁、逆茂木などを築き、
物見やぐらを複数配置し、
さらに北内郭、南内郭が設けられた
「城のルーツ」
ともいうべき環濠集落である。
私達の記憶に残るのは
1989年に吉野ヶ里遺跡が
大々的に報道された際
「魏志倭人伝に
記載された邪馬台国に
関係する遺跡ではないか」
と、注目を集めたが、
現在は九州北部に
あった複数のクニの一つ
という見方もされている。