【日本名城100選 No.21 徳島城】
なんといっても庭園が凄すぎる
〜ボランティアさんに
お願いしてください〜…
道三・信長・秀吉と使えた
蜂須賀小六正勝の子
家政が築城
血が途絶えた後も
時代によって、
将軍家から養子をもらい
生き残ったしぶとい家
蜂須賀家は、関ヶ原の戦いでも
徳川方で出陣、
また大坂夏の陣でも戦功をあげ、
新たに淡路国を与えられた。
その後、阿波・淡路両国の
城主として約290年間治め
明治に至った。
城は、本丸、西二の丸、西三の丸、
東二の丸の城郭部分と、
山麓の本丸御殿が置かれた
居館部分からなり、
かつて山上にあった渭山城と
山麓の寺島城を合わせた大規模な
平山城である。
石垣は「阿波の青石」と
呼ばれる緑色片岩で築かれ、
また当初天守は
本丸にあったが
1615~24年に取壊され、
一段下がった東二の丸に
天守代用の御三階櫓が建てられた。